開いた本

私と文学

 小学校に上がるか上がらないかの頃、祖父に定型詩の創作を教わり、その世界に魅せられました。17文字のなかに言葉のイメージが鮮やかに浮かびこんな世界があるのだと。そこから言葉の表現に興味を持ち、詩作を続けてきたように思います。

 高校の夏休みに「涙痕」という短編を書いて提出しましたが、ひとことのコメントもなく戻されてきたのでがっかりした記憶があります。

きっとそこが発表するということの出発点なのでしょう。

 昔書いたものを読み返しても、直線のピンポイントでテーマに辿りつくことはなく、そのあたりを徘徊、逡巡する態でまさに方向音痴の書く文章なのだと自分で思いますが、文体は人なり、仕方ないですね。

 本を読むことも好きで、常に5,6冊を同時に読み、読む場所や時間によってそれぞれに楽しんでいます。物語、エッセイ、評論、写真集、ポエム、絵本などなど一生に読み切れない蔵書のなかからどの書物に出会えるか。面白い本さえあれば生きていけると思えるほどですが、なかなか本との出会いも難しいものですね。

 先輩の方とお会いすると、ついつい昔話を聞かせて頂くことが多いのですが、それはとても興味深く、時代やその背景から人物が立ちあがってきます。

フィクション、ノンフィクション交えてパッチワークのようにお話を繋いでいます。人様にお見せできるかどうかのレベルはわかりませんが、少しでも共有、共感して頂けるところがあればいいなと思いつつ。書けない、書けないと苦悩することもないので駄作なのでしょうね。それでも書いてしまうのは取りも直さず、祖父が教えてくれた世界なのでしょう。松本清張氏の「空想の翼で書け、現実の山野をゆかん」という言葉に少しでも近づけたらと願うばかりです。

​ 貧しい書架ではありますが、御本の紹介をしつつ1冊づつ手離していこうかと思います。それも終活のひとつかもしれません。命の方が先に終わるかもしれませんが。

 私は還暦を目前に、社会人入試で法政大学の大学院を受験し、幸いにも合格させて頂き、修論の副論文として『智恵子抄』を選びました。『智恵子抄』は様々な出版社から発行されており、手に入るものは全て揃えたいと思いましたが、この龍星閣の初版はなかなか手に入りませんでした。それがふとしたところで見つけて手にしたときはとても感激したものです。

 地味な白一色で表紙を開けると燃えるような朱文字で「詩集 智恵子抄 高村光太郎」とあります。紙質は上質で、物資も乏しくなっていたのでしょうが、今も充分耐えており益々愛しくなります。

『智恵子抄』を選んだのは、この書物が持って生まれた宿命のようなものを書きたかったからです。太平洋戦争が始まる4ヶ月前の出版、智恵子を亡くしたあとの光太郎と龍星閣澤田伊四郎の熱意、実にこの本が出版されるまでと、されたあとに続く物語は長いのです。

 光太郎の優れた研究者であり、「連翹忌」を主宰されていた(現代は小山弘明氏)北川太一氏はこの『智恵子抄』についてこう述べられていました。

 詩集『智恵子抄』が世に送られてすでに半世紀にあまる。死が日常だった大戦のさなかにも、戦後混乱期にも、あの回復期を経て迎えた飽食の時代にも、方向をうしなって漂流する今も、この一冊の小さな詩集がつねに読み継がれてきたのは、ただそれが類まれな愛の詩集だったからだけではない。屈折したこの国の近代のなかで、つねに美の創造にかかわりつつ、戦いに傷つき、時につまずきながら、人間とはなにか? 人が人を愛するとはどういうことか? 生とはなにか? 死とはなにか? 戦争とはなにか? つまりは人間が人間らしく生きるというのは一体どういうことなのか? をつねに問いかける、この一組の男女の重く重大な生の試みが、意識するとしないとにかかわらず、時と処を超えていきいきと人の心を揺り動かすからに違いない。

(『智恵子抄アルバム』 芳賀書店平成7年・1995・3)

 時代を超えて生き残る書物とは、今新型コロナで不安のなかにあっても変わらないのです。ジェンダーの視点で読み直され、問題提起もしつつ、私は自分の視点として、智恵子というひとりの女性を今でいう「肉食女子」として捉えたつもりでした。詩集でありながら、生身の智恵子を語る「智恵子の半生」等のエッセイも含まれ、光太郎の出発点である明星派の短歌6首も添えられています。私はそのなかの「光太郎智恵子はたぐいなき夢をきづきてむかし此処に住みにき」という歌が好きで、此処とはあのロッジ風のアトリエなのでしょうが、私にはこの『智恵子抄』のなかに思えるのです。光太郎のあの大きな手で塑像をつくるときの土のように光太郎と智恵子を捏ねて捏ねてひとつにして。

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