ブログ CAT MOON
更新日:2021年1月17日
今日から4月。いつもならスキップして春の陽射しの中を駆けて行きたいところですが、新型コロナが浮遊するなかそうもいきませんね。
皆さん、如何お過ごしでしょうか。少しでも家の中での生活を過ごしやすくと思って、日頃出来なかったお掃除や、繕いもの、手の込んだお料理、積読を読書に、などなど。でもいまひとつ気分が乗ってこないのは、先の見えない不安だからでしょうか。あっという間に風景が変わり、云われるまま右往左往、気が付けば見たことない世界にいて、でも、こんなときだからこそ、皆で力を合わせて、というシンプルな基本に辿りつくのかもしれません。
久しぶりに「大草原の小さな家」エピソード1をみました。子供が小さい頃見ていたものですが、毎回ほろりと熱いものが湧き上がって、それは今もやはり同じ。アメリカ西部の開拓民家族の歴史が身につまされて。丸太小屋からはじまり、お母さんが望むガラス窓のある家に住むことが出来るのでしょうか。父親の権威が健在で、日曜学校が精神の中心にあり、何より家族愛がすべて。秩序や常識、品位や優しさに包まれた家族像に改めて素直な気持ちになれました。役者さんがいいのでしょうね。
明日2話をみたいと思っています。大草原にぽつんと一件あるよりかは、やはり人との関わりがよりある町に行くのがよいのではないかしらと、私が妻なら願いますが、お父さんはいかがでしょうね。「父親の権威」や「夫への従順」がある以上、責任もあるはずですから、是非是非家族をよりいい場所に導いてほしいものです。
この国もトップのより良い判断で困難を乗り越えて山を越え、野を越え、川を越えて安らかな日々に辿りつけますように。

緊急事態宣言が出されるとか。閉じこもるばかりで最悪のシナリオすら想像してしまいます。病院にもかかれず野垂れ死に近いような死を迎え、満足な葬式もなく親族にも遇えず、棺桶は品切れ、遺体の保管場所もなくて冷凍トラックに掘りこまれ、そんな現実もありそうで気持ちは塞ぎます。しかし、自分の事だけを考えるとそうかもしれませんが、誰かのことを思って耐えることが出来ればそれも幸せに繋がっていくのかも知れません。その誰かに巡り合って来たかどうか、探せたかどうかで人の人生も変わるのかも知れません。いずれにしても、数字はシビアでそれ以上の事が起こることも予想しつつ、これが大げさだったわねと思える日が来ることを願っています。
「大草原の小さな家」は8話まで見ました。毎回いろんなことが起こりますが、家族の愛と絆は素晴らしく乗り越えていくのです。人との関わりは嫌なこともあるけれど、毅然とした態度と許すという行為を覚えて大人になっていくのですね。人の気持ちは様々、疎まれるにはその理由があり、それは相手側の思い込みや誤解という厄介なこともありますが、仕方ないですね。言葉の向うには感動もあれば誤解もあり、願いは届かないことの方が多いのかも知れませんが、今を尽くして明日を諦めないで生きて行ければと思います。命ある限り。

昨年のシナリオが現実味を帯びてきたようで、新聞やマスコミは医療崩壊の危機を日々伝えています。
発熱や咳の方はお断りというメッセージが医院に貼りだされていると、身をもって日常が壊れたことを思い知ります。
楽しみにしていた多くの舞台での表現も中止になり、生きることには必要ないと云われてもそれらは元気になれる要素だから大好物なものを取り挙げられた飢餓感が湧いてくるものです。
しかし、思えば歴史は崩壊と再生の繰り返し。今の状況から新しい新芽がでてくることを願って土壌作り。とは言っても事態は深刻で命が危機に晒されている人は増えるばかり。
どこまで逃げられるのか、逃げ場さえなくなるのか、先が見えなくなってしまいました。
こうして文字を打っている間にも忍び寄ってきているのでしょうか。
「大草原の小さな家」はシリーズ8になり、あの小さかったローラは恋をして、結婚をしています。夢だった先生にもなり、お母さんにもなり、決して幸せばかりではありませんが、与えられた環境のなかで精一杯の努力と我慢と希望を繋ぎ、人は生きていくのだろうと教えられます。建前と本音、夢と現実の狭間で揺れ動きながら。